備忘録

関東の関西担だった頃の話

あの頃のレコメンに再会した


レコメンからヒナちゃんが卒業しました。

フォロワーさんのツイートで、横山くんが出演しているのを知り、慌ててradikoを開けました。
そこには、かつてのように噛んだりしてない(笑)横山くんがいました。
あれから数々の演技やMCなどのお仕事を経て成長した、年齢相応の落ち着きのある話しかたをする横山裕村上信五がいました。
懐かしいなあ、この感じ、空気、ふたりのやりとり。そう思いながら聞いていました。
ただただ懐かしい、その懐かしさは今晩数時間だけ、なんだか切なくなりました。

レコメン開始直後、この仕事しかないと言っていたふたりには、いまはもう、この仕事が無くなっても、後輩に譲れるくらいに、ふたりにはもう別の仕事があるのです。
こんな素敵な「最終回」ってありますか?

番組はまだまだBADのおふたりが続けてくださるとのことで、変わらず関西枠であることを嬉しく思っています。
まだまだ関西圏でしか見たり聞いたりできないジュニアたちを呼んでくれたら、と期待しています。

ひさしぶりに、これから新幹線の始発まで彼らは何をして過ごすのかなあ?と考えたりして、ああもう彼らは始発待ちなどしなくてもよい大人なのだ、と気づきました。
そして、二年前の記事では専業主婦だった私も翌日は仕事や子供たちの学校があって、当時のように友人達と朝までレコメンの感想を言い合う時間はないのだ、と気づきました。
彼らにもリスナーにも等しく時間は流れていたのです。


すばるくん脱退記者会見を見ました。
「わたくし、渋谷すばるは」という言葉遣いに、あのすばるも年齢相応の大人になったのだと思い、そりゃ違う仕事や環境を求めても仕方ないよね?と受け止めることができました。
鳩の目がこわい、一人で電車乗れなかったけど練習して乗れるようになった、、、と危ういエピソードを披露してはファンを心配させていた、ハタチの頃の彼は「一人で大丈夫」と自分で思えて、また周りを説得する力のある大人になったのだ、と。
ただ、ひとつだけ、すばるくんに聞きたい。
「私達ファンがあなたを、あなた達の努力や言葉を受け止めたつもりで、デビューさせたいと過剰に応援してしまったのは、あなたにとって重荷でしたか?」


レコメンとわたし。

「レコメンと関東の関西担だったわたし」

関東でのテレビ放送で「ロケ芸人」などと呼ばれていたヨコヒナ。
敢えて糞ドラマと呼ばせて頂きたい、「ネバーランド」に出演していたヒナちゃんに注目し、
そこから関西に徐々にハマっていこうとしていた私に立ちふさがった壁、
それは「関西ジュニアの氷河期」でした。

関西ローカルでは「週刊V-WEST」が放送されていましたが、関東では見れません。
アイドル誌にもなかなか掲載が無かったように思います。
関西ジュニアを知りたくても資料すらない…...逆に意地になるやんかそんなん、なあ!?
自宅にあったビデオテープ(笑)から、数年前の音楽番組やジュニアの番組を漁る日々がはじまりました。

やがて、横山くんが単独で出演していた文化放送の深夜枠ラジオを知ることができました。
当時は(お名前を失念してしまいましたが)女性MCと一緒でした。
「これしか仕事ない」というような事を話していた記憶が微かにあります。

ある日、ヒナちゃんがゲストに呼ばれました。
そして、番組がリニューアルし、「ヨコヒナのレコメン」に生まれ変わる事が発表されました。
ひたすら文化放送様に感謝、ヒナちゃんを呼んでくれた横山くんに五体投地、そんな気持ちを思いきり夜中に叫びました。
通報されなくてよかった。

とにかく絶対に番組を終わらせてなるものか、だってこの番組だけが関西を知る手立てなんだもの。
そんな気持ち悪いくらいの思い込みと熱量で、ひたすらメールを投稿していました。
はじまった当初は投稿FAXもメールもハガキも少なかったのでしょうか、数回読まれた事があります。

今でも忘れられなくて、今でも謝りたいくらい後悔している投稿があります。
それはこんな内容のものでした。
「昔の音楽番組を見ていたら、横山くんと村上くんが歌ったり踊ったりして嬉しかったです」。
仮にもジャニーズJrである彼らに対して失礼すぎる内容です、なのに読まれたんです。
当然、ヨコヒナはギャーギャー言いますよね、当たり前です。
しかし、その放送の裏では松竹座公演の話が進んでいた事なぞ知る訳もなく。

あの年から、夏と冬は松竹座通ったなあ。
三馬鹿と亮ちゃんとVwestが、関ジャニ8になり、新しく関西ローカルの番組がはじまり、オリジナル曲を貰えて。
途中で、NEWSデビューしたり、8が∞になったり色々あったなあ。
その辺りを、リアルタイムでレコメンを通じて知る事ができました、幸せでした。

関西ローカルのTVやラジオを関東でも視聴できるようにして下さいと関係各社に要望出しまくったり(笑)、雑誌に載せて下さいと要望出しまくったり(笑)、関西Jrを出して下さいと某国営放送番組に要望出しまくったり(笑)、
出た番組とレコメンに感想のお手紙を書くまでがファンの仕事だから!と思い込んで頑張ってましたよねえ。
若さ故の愚かさと暑くるしいまでの思い込みで(笑)。

ところで、忘れられない放送がいくつかあります。
・放送開始時点で寝ている横山くんが何時何分に起きるか、当てたリスナーにプレゼント
・メンバーやメンバーの家族に突然電話シリーズ
・何度かあったメンバー全員での出演
・スタッフさんと横すばによるモンハン部結成
文化放送の社屋内で運動会開催
・メンバーの意外な外部との交友関係が知らされたりする
・レコメンのギャラは新幹線の往復切符(笑)
古い話題なんで、この辺にしときますね。

やがて彼らの人気が急上昇し、松竹座のチケットが取れなくなりました。
その頃を境に、何となく現場から足が遠のき、レコメンを聞くことも無くなりました。
そのうち、自分が結婚・出産して専業主婦になり、時々ですがレコメンを聞くようになりました。

レコメンの好きなところは、深夜のグダグダ横山とオカン村上による進行、時折ふいに真剣な話題を冗談じみた口調で語る横山くん、でした。
それが、遺憾無く発揮されたのが忘れもしない、東日本大震災後のレコメンでした。
阪神大震災を経験した彼らによる語りは、真摯かつ優しさに溢れていました。
その後の24時間パーソナリティでは語られなかったのが残念なくらい。
横山裕って、こういう人だよな。と改めて感じたのを覚えています。

どんな経緯があったのか、長年東京で唯一と言っていい程の、この番組枠を守ってきてくれた横山くんが卒業しました。
この辺りで、またレコメンを聴かなくなってしまいました。
ヒナちゃんと丸山くんが嫌いな訳ではなく、横山くんの喋りが好きだったんだのかなあ?
言葉にしてしまえば、一時代が終わった、そんな気持ちです。

そんなレコメンも、丸山くんが卒業との事で。
記念にグダグダだらだら、思った事を書いてみました。
B.A.D.(これも懐かしい呼称になるのかな)のおふたりとの絡みが気になるので、久々に聞いてみようと思います。

電波がうまく拾えずガチャガチャ電波探していた頃と違って、今はスマホアプリで簡単に綺麗な音声拾えますし(笑)。

レコメンの木曜日の時間帯が、変わらず関西以外の関西担に届くものであるように祈りながら終わります。